バルテュス
Balthus
20世紀ヨーロッパ美術界のどの流派にも属さず、独自の具象絵画の世界を築き上げた、ピカソ曰く「20世紀最後の巨匠」
作家自身「この上なく完璧な美の象徴」と表現した少女をモティーフとする代表作をはじめ、
神秘的で緊張感のある作品は今もなお世界中の人々に愛され続ける
作家自身「この上なく完璧な美の象徴」と表現した少女をモティーフとする代表作をはじめ、
神秘的で緊張感のある作品は今もなお世界中の人々に愛され続ける
(略暦)
- 1908年
- パリに生まれる(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ).父は、画家・美術史家のエリック・クロソフスキー(1875-1964).(ドイツ国籍)
- 1914年
- 第一次世界大戦の勃発により一家でベルリンへ移住
- 1917年
- 両親の別居。11月から母とジュネーヴに移住
- 1920年
- 中国の文化に熱中する。母の恋人リルケの為に荘子の生涯の逸話を彩る挿絵を制作し、中国風の小説を執筆する
- 1922年
- 27年まで芸術家マルグリット・ベイの助手を務める
- 1924年
- グランド・ショミエールに自由聴講生として通う。ボナールやモーリス・ドニに素描を見せる
- 1928年
- 2-9月チューリッヒに滞在
- 1929年
- 初めての展覧会(フェルター画廊、チューリッヒ)
- 1930年
- 10月から31年12月までモロッコにて兵役
- 1933年
- ドラン、ジャコメッティらと親交を持つ
- 1934年
- ピカソがバルテュスを訪問。4月、ピエール画廊で最初の個展
- 1937年
- アントワネット・ド・ヴァトヴァルと結婚(46年別居)
- 1938年
- NYのピエール・マティス画廊で最初の個展
- 1939年
- 第二次世界大戦勃発により9月に動員されアルザスに送られるが、負傷して12月にパリに帰還
- 1941年
- ピカソがピエール・コルから《ブランシャール家の子どもたち》を購入
- 1943年
- ジュネーブのモース画廊で個展
- 1953年
- パリを離れ、蒐集家や画商たちの援助によりブルゴーニュ地方のシャシーの城館に移り住む
- 1954年
- 義理の姪フレデリック・ティゾンがやって来て、62年までともに暮らす
- 1956年
- ニューヨーク近代美術館で展覧会
ジャコメッティ、マティスの訪問を受ける - 1961年
- ローマにあるヴィラ・メディチのアカデミー・ド・フランス館長に任命される.同館の建物の修復に着手
- 1962年
- パリでの日本古美術展(「日本美術の彼岸」展、1963年、プティ・パレ)の準備のため、初来日。以後、作品に日本の浮世絵の影響が度々現れる
- 1967年
- 出田節子と結婚。二度目の来日
- 1983年
- 3度目の来日。皇太子同妃両殿下のご接見。
パリ国立近代美術館で回顧展 - 1984年
- ニューヨーク・メトロポリタン美術館、京都市美術館で回顧展。荒木経惟が「バルテュスの夏」展を開催(大阪)
- 1991年
- 第3回高松宮殿下記念世界文化賞受賞
- 1993年
- ローザンヌ州立美術館で展覧会
篠山紀信が写真集「Balthusバルテュス」を刊行
東京ステーションギャラリーで回顧展 - 1995年
- 香港、北京、台北で回顧展
- 1997年
- メルシャン軽井沢美術館で「バルテュスとジャコメッティ」展
- 1998年
- 出光美術館で「アンドレ・マルローとフランス画壇の12人の巨匠たち」展
- 2001年
- ロシニエールのグラン・シャレにて死去(享年92歳)
*作品の在廊状況、価格等はお気軽にお問い合わせください
(参考文献)
「バルテュス展」2014年図録
(NHK NHKプロモーション 朝日新聞社)